ある教育番組を見ていました。俳句の世界では相当有名な人の、特別講議です。僕は別に俳句に興味があった訳ではありませんが、なぜそんなものを見ていたのかというと、単純に、その人がしゃべっている言葉にひきこまれてしまったからです。その人は俳句の作り方として、見たままを表現する写実ではなく、”まず自分の中でイメージを作り上げ、その世界を思い描いた時に、自分の心にわき起こる感情を俳句にしていく”というような事を言っていました。そんなことを聞いていると、なんだか小説を書く事にも似ているなぁと思いながら、なんとなく見ていたのです。その先生は、もう80歳を過ぎているのですが、その言葉にみなぎる創作のパワーが伝わって、僕はチャンネルを変えることができなかったのです。
そのうちに、彼は、自作の一句を紹介しました。それも、頭の中でその先生が描いた世界を表したものです。川の中に、たくさんの魚が群れているという様子を表した俳句でした。たくさんの魚が飛び跳ね、うごめいているところだと、その人は解説しました。そして次に、その光景にはエロスを感じる、ちょうど、人間の男女が交合しているさま、それも、乱交のシーンを喚起させるのだ、と続けたのです。俳句の話で、それも、80歳を過ぎた方から、イキナリそんな言葉を聞いて、僕はぞくっとしました。普通の神経の持ち主なら、教育番組でそんなことを言うのは止めようと思うはずです。乱交について人前で堂々と説明するとは、かなりの人物だと僕はショックを受けてしまったのでした。
エロティシズムを感じる心というのは、本来、人間には生まれつき備わっているものでしょう。しかし、歳とともに、それ押し殺して生きるようになってしまうのではないでしょうか。80歳を過ぎてなお、それを創作の原動力として使う事ができる彼の生命力はただものではないと、僕は感じていたのでした。80歳を過ぎてなお、街角で”オレと作品を作らないか”と言って10代の少女をナンパしていたというピカソを思い出しますね。
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