剃毛について

 小説「羞恥のメス犬調教」の後半には、恭子がアソコの毛を剃られてしまうシーンがあります。サディストは、なぜM女のアソコの毛を剃ってみたいと望むのでしょうか?ここでは、僕なりに、その理由を考えてみたいと思います。
 アソコの毛を剃るということには、M女にとって二つの大きな恥ずかしさが含まれます。剃っている最中には、両足を大きく開いてアソコをさらし、じっとしたまま相手に全てをゆだねなければならないという恥ずかしさ、そして剃り終わった後には、毛がなくなった部分がさらけ出されてしまうという恥ずかしさです。
 それほどまでに恥ずかしい行為をサディストがM女に求めるのは、まずもちろん、毛を剃るという行為そのものに興奮するから、という理由があるでしょう。SMは性的なものなので、それはごく当然のことだと思います。
 次に、SMに特有の理由としては、そういった恥ずかしい状況に身を置くことを、はたして相手が許してくれるのかどうかという、自分に対する信頼の深さを確かめたいから、という理由が挙げられるでしょう。
 そしてもうひとつ、これもSMに特有な理由なのですが、そういった極限の恥ずかしさを相手に与えることで、逆に相手の心を解き放ってあげたいという気持ちがあるのではないでしょうか。極限の恥ずかしさについては、「羞恥心とSMについて」でも書いてみましたが、ちょうど、身体を縛られ、動けなくなって初めて自由を感じることができるように、M女の場合には、毛を剃られるような極限の恥ずかしさを体験することで、心の自由を得ることができるのです。
 さらに、毛を剃ってしまえば、そのしるしが身体に残るので、しばらく後までも、相手に自分との絆を実感させることができるという特徴もあります。
 こういった理由があるために、二人の関係が確かなものになったと感じられた時、サディストはM女に剃毛を望むのだと僕は考えます。

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