「黙っていても、不機嫌じゃないんですよ」
隣を歩く真紀が前を向いたまま、そう口にした。僕もあまりしゃべるほうではない。なにも話さず、手をつないで歩く二人の間には、本来なら、気まずい空気が流れるはずだった。いつも僕は、それで失敗してしまうのだから…。しかし今度は違っていた。長い会話のあとの沈黙、お互いを理解しあった後のような雰囲気が、二人のまわりを満たしている気分だった。そのうちに、僕たちはほとんどしゃべらないまま、僕の部屋に着いたのだった。
さして広くはないワンルームの部屋に、僕は真紀を上がらせた。部屋の半分は、机やパソコン、趣味で集めた電子楽器やギターなどに占領されて、あとのスペースには、ふとんが敷きっぱなしになっている。僕は、キッチンの前に立ったままの真紀を促し、ふとんの上に座らせた。そして、ペットボトルのお茶をコップに注いで、真紀に手渡した。両手で包み込むようにコップを持って、少しづつ口をつける真紀のしぐさを見ているうちに、僕の心は妖しく高ぶっていた。僕は、そばにあった薄い雑誌をおもむろに取り、ページを開いて、縛られた女性の写真を真紀に見せつけたのだ。
「こういうの、どう思う?」
僕は、真紀の様子を観察しながら、驚くほど大胆に話しかけていた。真紀は、口元に持っていったコップをそのままにして、じっと写真を凝視している。真紀が、その写真に興味を持つだろうということは予想できた。それは、よくSM雑誌に載っているような、おきまりのポーズでモデルが縛られているワンパターンのカラー写真ではなく、特に縛りの事を研究している、あるサークルの白黒写真だったのだ。
女性が縛られた数々の写真を見てきた僕には、そのサークルの写真の中に、それらとは違う、本物の雰囲気が漂っているのがわかった。縛られている女性の息づかい、高ぶった被虐の心が、モノトーンの世界の中に封じ込められていたのだ。写真の中から、縛られている女性自身の快感が、そのまま伝わってくるような迫力だった。もっとも、その快感は、ある世界の人でなければ分からないものなのだが、ぼうっと瞳を潤ませていく真紀の様子から、真紀も同じ世界に住んでいることは明らかだった。
僕は、次々にページをめくりながら、真紀の頭に、その光景を焼きつけていった。そしてついに、素裸であぐらをかいて縛られたまま、逆さ吊りにされている女性の姿が出てくると、真紀はただ呆然と、魂が抜かれたような表情を浮かべて固まってしまったのだった。
「え、えぇ…。すごい…、ですね…」
とぎれとぎれに言葉を発するだけの真紀に、ころ合いを見て、僕は赤い紐を取り出し見せた。
「こういうので、縛るんだよ」
紐を真紀のヒザに乗せ、その感触を触らせてみる。僕は、少しも抵抗しない真紀のコップを取り上げて脇に置くと、真紀を後ろ向きに座らせた。そして、背中から真紀の身体を抱きしめて、真紀の耳もとで、
「縛ってあげるよ。さぁ、脱いでごらん…」
そう、声をかけたのだった。