「そこは、こうやって解くんだよ。この前も、教えたと思ったけど」
妄想から戻った昌一は、きつい口調になりながら、ノートに解法を書きとめていった。わざと厳しい言い方で、真奈美の反応を確かめるのが、最近の昌一の、ひそかな楽しみだった。
「すみません、先生…」
そう謝ると、真奈美は、昌一の手元を熱心に眺めながら、一生懸命にそれを理解しようとしている様子だった。そんな真奈美を見ていると、昌一は、少しやり過ぎたかな、と思い、真奈美に優しい言葉をかけた。
「まぁ、これは特に難しい問題だから、今すぐに覚えられなくてもいいよ。最初の頃にくらべると、どんどん成績も上がっているようだし、この調子なら心配することはないと思うよ」
そうなぐさめると、真奈美は、ぱあっと嬉しそうな表情を見せて、昌一をあがめるような目つきになった。
「そろそろ時間だし、今日はこれで終わりにするよ。ちゃんと復習もするんだよ」
そう言い残して、昌一は真奈美の部屋を出た。
真奈美を教え終わった後に、昌一はリビングルームを訪れると、ソファーでくつろぐ真奈美の父親、忠弘に声をかけた。真奈美の学業の進行状態の報告と、バイト料をもらうためだ。忠弘は、銀行の支店長らしく、どっしりとした印象だった。
「どうですかな、真奈美の様子は」
そう尋ねられ、昌一は、このままいけば、問題ないでしょう、と答えた。
「あの子には母親がいないものですから、私だけでは気づかない点も多いんです。これからもよろしく」
そう言われると、昌一は、封筒に入ったバイト料を渡された。
忠弘の話では、真奈美の母は、真奈美がまだ小さいときに、別の男と駆け落ちしたらしかった。それ以上のことは、昌一も聞かされなかったし、興味もなかった。ただ、自分が真奈美の保護者のような扱いを受けるのは、まんざらでもなかった。昌一は、忠弘にあいさつすると、大きな屋敷をあとにしたのだった。